云外人间自悠游

濃霧に灯篭を翳して

ルノルマンと占星術・星信仰

ルノルマンのような月の見方はしない。

優しくて、私たちを見守ってくれる静謐で温かい存在であり安心するといった印象より、占星術の月。


占星術の月は欠損であり欠落である。
自分には無いものだから無意識に求めてしまう行動である。
惑星が連なりながら自ら光るのが太陽であり、
外から奪うのが月である。


わたしは太陽信仰ではなく星信仰だから、
ひとりで光っている恒星になっても、内面的に充たされていると思うんだ。
寂しいという感情から離れ、ただ己が∞の宇宙に浮かんでいる感覚に笑みをたたえていると思う。

でも今は人間であり、横のつながりがないと生きていけないから
太陽のように生きているよな


トートタロットの星のアテュにも、イマイチ納得しきれないところがある。
男性性を示すカード(皇帝・神官・隠者)が一弦的なもののように。わたしの理解が足りないのかもしれない。

女性性と男性性のバランスを取ることが、陰陽論の本質のように思える。陰中の陽/陽中の陰

無感情だと思われたって構わない。

特定の誰かだけを愛するって、
僕には難しいと思う。

だからといって二股かけるとかそういうのじゃない。

誰かに関心を向けるのが難しいということ。


特定の人に関心を寄せることで、執着を産む。
人に執着することで他を排斥したがる。
つまり嫉妬。

そういう感情とは僕は無縁でいたい。しがらみが産まれるのはめんどくさい。


愛してるという感情で
人に寄りかからないということ。軸足を他人に任せない。

人との関わりにおいて産まれる負の感情はめんどくさい。
恨み妬み嫉み、、

本来自由であるはずの個を、わざわざ他人に絡みつく。

執着は
他者依存の変態的好意。


執着というものを、嫌がる。

離れすぎない距離感で、ほどほどに生きていたい。

この感覚は
蠍座ではなく、魚座の感覚かもしれない。



自分の中に、

12星座それぞれの感覚が生きている様子を
観察することが愉しい。

ホロスコープを使って内宇宙を視覚化したのだから、
惑星やサインなどといって、
自己を分割する必要などないのだと思う。


そういう観点でいるから、
今私の
内宇宙の“どのサインが反応しているのか”を知るために
週単位で更新される12星座予報はまんべんなく見ておきたいところ。
占星術を始めてよかったと思えるところ。


言ってしまえば、
自分のネイタルチャートにすら関心がない。
ということなのかもしれない。

自分を定義づけるのがめんどくさい。

惑星やサインの働きによって、固定化した自己イメージは活動を制限する。

これも魚座の感覚。


12星座総てが自分だという
全惑星意識の中にいたいと思うから、

太陽山羊座だから○○といった
アイデンティティは持ち合わせていないんだよね。

そこに惑星がある
だから何だ。


自分を知りたいと思って始めた
占星術のはずだったが、

いつの間にやらどこかへ行ってしまったようだ。

帰り道は分からない。
目的地もなく


とくに悲観する必要もない。


自分の星に執着することなく、占星術を学べるのは
全体的に見て幸せかも。

好きな方法で学べばいい。私に合った方法で。

惹かれるがまま感覚につられて、
占星術の概念に浮かんでいる。

それだけのこと。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい

わたしはグループを壊してしまう(震)
わたしがいると皆に厄災が降りかかる(謝)

という悪い暗示を溶かしてくれ。


皆みんな、虐められていた時期にかけられた
私に向けた冷たい目線。



たいていはこのような順番だ。

トラウマがフラッシュバックして自動防衛の守護人格が動き出す
→気づいたら周りが破壊されてる
→罪悪感にまみれて自己嫌悪/虐められ時代を思い出して泣く


こういった境界性パーソナリティ障害(離人+解離性同一性障害+性同一性障害)もちの

人間もいるということを知ってほしい。


被害者意識も事更に強く、
加害妄想で苦しむこともあれば、
実際に加害して周りに迷惑をかけることもある。

空気を悪くするだけでなく、
クラッシュしないと納得しない人格がいる。

壊れているわたし自身を表現したいんだろうけど、
巻き込むのをやめてほしい。

衝動にかられてコントロールを見失う。

月牡牛座❸と好き嫌い

自分が好きなものを否定されると自分も否定されたような感じるのは自他境界がないと思うね。

好き嫌いの判別は、究極的に自分を愛することにもつながるからね。

私があえて『合わない』と言ったのは、
“体質”により深く根ざしているものだからだ。

生理的反応/本能に近い。


この人の言動を、「食べられるか」「食べられないか」で判断するのが牡牛座の月ということだ。

自分の体質に合わないものを食べると体調を崩すからね。

自然な状態を保つためにも、無理をするのは禁物だ。


山羊座というものは、10ハウスに結びつけられているように、“仕事をする”ことに関連している。

自分の持つ好き嫌いを超越して、苦手なものや人にも対応していかなければならない。

だから自身の感情を抑えなければならない場面がいくつも発生するんだ。


そんな山羊座を太陽にもつ私は、己の好き嫌いではなく
判断を月に委ねることが多い。

好き嫌いに関しては金星だが、

牡牛座の月は、『ある素材を前にして、自分の体が合わないものを判別する基準が厳密である』と言えることだ。


牡牛座の太陽のように、自分の愛するものの素材の質を高め/追求し続けることはない代わりに

自分の周りに存在する玉種混合のもののなかから、自分に合うものを選別する“才能”があると思ってる。

私は自分の牡牛座月のいい側面を見ているし、同時に信頼してもいる。

月牡牛座❷

最近ずっとコロナウイルスでマスクの着用が義務付けられているが

そんな中で
『布マスク』の魅力に気づいた人は一定数いるのではないか。


使い捨ての紙マスクは、長時間着用していると肌が乾燥する。

だが、布マスクは呼吸に含まれる水分を吸収するため、蒸れることもないし快適なんだ。

だから夏場は布マスクを着用する人がより一層増えると想う。


1年2年経って、コロナウイルスが収束しても
布マスクの魅力に気づいた人はそれを使い続けると思う。


手触りがいい。

紙マスクに比べて肌が乾燥しない。



柔軟剤を使うと、より一層肌触りがよくなると思う。


月牡牛座は物質面において敏感であるが故に、

自分の身の回りの生活を
自分に合った形に整えることを良しとする。


自分で布マスクを手洗いすること。

やってて気持ちいいんだ。

月牡牛座

ものを所有できないと言われている月牡牛座ですが、


「今必要だと体が判断したものを買う」能力はあると思う。

好き嫌いとは別に、体が本当に欲している成分や元素を

本能的に取捨選択する能力がある。



だから、より厳密に言うならば

「ものを溜め込む力がない」ということだと私は思う。


今現在、体が求めている

要不要の声を聞くことができると、

月牡牛座は
自分の体に合った食べ物を選択することができる。


ここら辺は『本能が強い』と言われている所以だね。

私が頼りにしている力である。

凛とした絶滅

種として滅ぶ自覚はなく、

ただ、

私と同種の生き物がいない孤独感とともに

死んでゆくのだろう。。

そのストーリーに悲劇はなく、

ひたひた、と忍び寄る死の足音が、
私に近付いてくるだけ…

目を瞑ると静寂。

私はしんでゆく。