云外人间自悠游

濃霧に灯篭を翳して

無感情だと思われたって構わない。

特定の誰かだけを愛するって、
僕には難しいと思う。

だからといって二股かけるとかそういうのじゃない。

誰かに関心を向けるのが難しいということ。


特定の人に関心を寄せることで、執着を産む。
人に執着することで他を排斥したがる。
つまり嫉妬。

そういう感情とは僕は無縁でいたい。しがらみが産まれるのはめんどくさい。


愛してるという感情で
人に寄りかからないということ。軸足を他人に任せない。

人との関わりにおいて産まれる負の感情はめんどくさい。
恨み妬み嫉み、、

本来自由であるはずの個を、わざわざ他人に絡みつく。

執着は
他者依存の変態的好意。


執着というものを、嫌がる。

離れすぎない距離感で、ほどほどに生きていたい。

この感覚は
蠍座ではなく、魚座の感覚かもしれない。



自分の中に、

12星座それぞれの感覚が生きている様子を
観察することが愉しい。

ホロスコープを使って内宇宙を視覚化したのだから、
惑星やサインなどといって、
自己を分割する必要などないのだと思う。


そういう観点でいるから、
今私の
内宇宙の“どのサインが反応しているのか”を知るために
週単位で更新される12星座予報はまんべんなく見ておきたいところ。
占星術を始めてよかったと思えるところ。


言ってしまえば、
自分のネイタルチャートにすら関心がない。
ということなのかもしれない。

自分を定義づけるのがめんどくさい。

惑星やサインの働きによって、固定化した自己イメージは活動を制限する。

これも魚座の感覚。


12星座総てが自分だという
全惑星意識の中にいたいと思うから、

太陽山羊座だから○○といった
アイデンティティは持ち合わせていないんだよね。

そこに惑星がある
だから何だ。


自分を知りたいと思って始めた
占星術のはずだったが、

いつの間にやらどこかへ行ってしまったようだ。

帰り道は分からない。
目的地もなく


とくに悲観する必要もない。


自分の星に執着することなく、占星術を学べるのは
全体的に見て幸せかも。

好きな方法で学べばいい。私に合った方法で。

惹かれるがまま感覚につられて、
占星術の概念に浮かんでいる。

それだけのこと。