云外人间自悠游

濃霧に灯篭を翳して

最近のまとめ

散々、人生を潰す方向で動いてきたなと、

過去の失敗を振り返り思いを馳せている。




私が自身を自滅に追いやるパターンは決まってる。

物質的豊かさを重視しない牡牛座の月と、単独行動に慣れている牡羊座のドラゴンテイル

月の欠損を埋めようとすると、太陽の自発的なエネルギーを奪い
偽のかがやきに目が眩んでしまう。



つまり、

月に囚われてお金の心配をする+自分中心に物事を進めようとすると上手くいかない。


反対に、

精神的豊かさを重視する+周囲との調和を重んじると人生は好転していく。

その感触は掴みかけている。



そういう失敗の過程も人生には必要だと思う。



ここまで来るのに長かった。




やればやるほど自身を死に追い詰める状態を知っているということは、

「これは違う」と否定し続けることによって、

人生が開けていく方法を知ることができるということだ。



消去法によって方向性が定まっていく感覚は、

太陽と海王星コンジャンクションの出生図らしい。







ブログを発信していなかった間、

自身を“僕”と“自分”に分けて

擬似的に成分として取り扱ってみた。



SNSで自身の言葉を発信していたときも

この入れ替わりが頻繁に起きていて

そういう時は、口調も、感性も、感覚も変わる。



“自分”という存在は、

日常生活で現れ、状態把握につとめたり

人間関係の対応・物事の整理や秩序化に追われる


多忙な成分である。




理知的で分析をよくする、男性性の特徴だ。



私は性別上は女性なのだが

ひとりでいると己を女性だと思ったことはほとんどない。


“自分”が全面的に物事の対応しているからだ。


彼はただ目の前の仕事をこなしていくだけの役割だった。



存在意義も不明瞭で、自身が何者かもわからず

いつも不安に襲われていた。


確かなものがほしくて、安心を求め

外に聞いてまわるような落ち着かなさが彼を支配していた。




それがある日、他の成分と交流することができたのだ。


話しによると、幼少期から表に出れずにいた“僕”が


「自分を守ってほしい」と


生み出した別人格であることを認めたのだ。




“僕”は明瞭な言葉で言い表されるのが不満らしく


お互いの主義主張が異なるので反りが合わないと言った。



書いているうちに、

内在中に喧嘩してることがこれで判明したと



“僕”の残したログに書いてあった。




…その後、眠るように気を失ったのは覚えている。


起きたら“自分”に戻っていた感覚は、何とも言いがたい。



これは、自身が解離性同一性障害なのではないか?


と推測できるようになった決定的な体験となり




私は主治医になんて話そうか考えあぐねている。