云外人间自悠游

濃霧に灯篭を翳して

認識

知人との間で起きた出来事を振り返りとともに走り書き


抑圧されたフラストレーションによる、
『地球母の縛りから解放され、もっと自由に行動したい』という欲求が、長らく自分を現世的な体のない存在として扱ってきた。
それが今回のトラブルの原因になってるような気がします。


形ない精神体としては私のことを認識できても、
男性性と女性性の根付いている体を現世否定的な問題としてしか捉えることができなかった。


文字だけ言葉だけの場所では、共有した宇宙観の中でおもしろおかしく遊ぶことは可能でした。
お互いに好意を抱いても、それは恋という私的感情ではなく、地上的な接点を持てない生来の孤独を癒すための戯れのようなものだった。
まるで大人になる前に狩りを学ぶ兄妹の戯れのように。


何やかんや間接的にでも地上とのつながりを感じたくて、私はその好意を利用することにした。
それは清廉潔白とは対象外、隠し事をしながら仲良くするみたいで私は罪悪感を感じることをやめられなかった。
喜びをもってつながることを、いけないことだと思っていたんだ。


私にとっての地球生活は苦しくて、自分の世界は狭いまま。何とかここから逃げ出したい。
それは自立心と言い換えることもできるかもしれない。
でも、現世的な体の存在を拒絶しているには変わりなくて、自殺願望を抱いたまま私は体調を崩していった。


体を生活をともにすること。それは、自然を愛し、植物を愛し、体の感覚を通り抜ける風を感じること。
同じ部屋の中に蹲っていたら、周りを取り巻いている世界の動きから切り離され窮屈としていくだけなんだけど。そんな状況も嫌だった。

できるなら、ひんぱんに風を感じていたときのように、
空の青と翠の輝きに目を潤わせて、雨の音を慈しみ、秋のつらぬくような太陽に目を細め、冷たい空気がゆるんだ体を引き締めて吐く息が白い中を自転車で漕ぐ。愛する冬の澄んだ空気が遠い宇宙へと思いを馳せて、
また私は、生を楽しんでいたい。……素朴なきもち。