云外人间自悠游

濃霧に灯篭を翳して

Tarot ∞STOREBGTH

免疫系がぶっ壊されていると、
体の反応で恐怖がぶり返したり・・責められてるわけでもないのに、悲しみに暮れたりして
ちょっとのことで気が動転するのは否めない。

それが慰みの言葉でも、受容しようとする優しさでも


恐怖に支配された私は、暴走して人を傷つけることで
“やっぱり自分はひとりのほうがいいんだ”と距離を置こうとするのが常で。それを繰り返してきた。

誰にも心を見せてはいけない。私は異常だから。


関係性を壊そうとしまうのは、
過去の友人関係に由来するものでもある。
園児の時は、友人ができても
場所変えさせられて離ればなれ。
小学校が始まって一緒に遊べる友人ができても
親の都合で引っ越して離ればなれ。
引越して早々、仲良くしてくれた2人も
同時期に引っ越してしまって離ればなれ。

どうせ、壊されてしまうなら、、不可抗力には抗えない
トラウマみたいなものかな。
だから余計、人を近付けまいとしてしまう。



母の態度はいつだって、「お前のものは俺のもの」
ジャイアンみたいな傍若無人さで家族を苦しめている。

父は自分のペースと感覚を大事にする人だから、
距離感を置いて付き合えるのでちょっぴり救われたりもしている。


感性も意識も異なる他者との交流は
新たな認識を生み、
自分の捉え方も、取り巻く世界観さえも変えていく。

同じ存在であるからには
表現も、均一化されてつまらないものとなる。
私は、違うからこそおもしろいと思う。


不甲斐ない自他の不完全性。



理解できない他者との交流が、
私を予測のできなかった未来へとつながってゆく。


だから私は、自分の弱さと向き合っていくんだ。


“こう在りたい私”は人との関係によって育まれていく……あの人といる私が好きだ。

不快を避けようとする癖が
関係性に責任をもたせない原因だった。

私の人生には
切っても切り離すことのできない人がいる。
私の人生には、その人が必要だ。

そう認めることで私は、
現実に足場をもつことができた。


衝動的に人を傷つけてしまう横暴な私と
献身することで生かし、生かされる私がいる。

善行を積むことと
悪役を振りかぶるものは
社会性を超えて、イキモノとして同一である。
人間というコスプレには
枠組みに嵌るための演技性が伴うので、
自然体を善悪に分ける分離作用をもつ。


私は自分が、
世間的にまともな人間だとは思えない。
外部に依存することで自分を見失ってしまうくらいなら
自身の内的ストーリーに頼った、
責任のある人生を歩みたい。

それが社会的に容認されないものだったとしても
自分の感覚に素直に。感性に従順に生きていきたい。


明暗差が激してクラクラするけど、どんな私も私だから……逃げないよ。


ふぅ 。ここまで書いて、ため息をつく、、