云外人间自悠游

濃霧に灯篭を翳して

非服従

ネットで言葉を紡ぐようになるよりずっと
昔からこの状態を危惧していた。

今にも爆発しそうなエネルギーの胸中にいるわけだが
さぁ。どうする?

長らくの人生で紡いできた集合無意識の未来に、違和感なく自分を織り込むには他にもまだやることがある。



ダークファンタジーも愛する身としては、
明暗のどちらか一方のみに価値を与える世界は信用が置けない思ってる。


対立矛盾してるような要素を『融和』する。
個人レベルでやるには一体どうしたらいいのか。
実生活に組み込むにはどこを足掛かりにすればいい??



具体的なものの認識が雑なことに定評がある私だが、
可能な限り話してみようか……


自然の循環のなかにある生を肯定する世界は、死を悪いものだと捉えていない。
冷たい冬をしのぐ種子も、花も、枯れ草も、人生における瞬間と懸命に向き合っている。


例えば、
責任者不明の建物が取り壊されるまでもなく放置され土地が荒れていく社会は、自分たちが死んだ後も未来が続いていく現実から逃げようとしてるように思う。
手軽に部屋を飾れるから便利と、見た目だけの価値で枯れない花を据え置いたりする。
……



集合無意識が私に投げかけてくる「死」は、
私が慈しむような本来性のある自然死ではなく
追放的な意味合いが強い。

常日頃からそれに苦しんでいるわけだか・・


私に示している無言のメッセージの殆どは、
存在を認めない。
無視されて、交流することすらままならない現実。
他にもまだあるかもしれない


感じていることを言葉にすることすら許されない
孤独と絶望感といったらない。
それでも、
誰に認められなくても
私は自分を肯定していかなくちゃ。。


今よりも快適で喜びをもった生活を送りたいから、
音叉のような「追放死」に同調するわけにはいかない。
もはや怨念のよう………