云外人间自悠游

濃霧に灯篭を翳して

探しものはここに

私は食べることを依存だと思ったことはない…。
嗜好品としてのお酒を飲んでも潰れるまで飲もうとは思えないし、動きにくくなるほど食べる感覚も分からない。

拒食傾向をもちはじめたのは高校生の時からで
生きることに疑問を感じ始めた故の、
(ある種の)娯楽と言っていいだろう。
自死を促すための気まぐれに過ぎない。

食べることを忘れてしまっていた時よりも、
今は妹たちと食べるのが楽しくて、
拒絶感が若干薄れてきているように思う。
外出して歩き回った久しぶりの肉体疲労に、
昨日は養命酒を試し飲みした。
動き回れない狭い部屋で鬱屈とエネルギーを持て余ししているよりも、外を歩き回った疲労感は心地よい。



・・話が脱線した。

体が存続していくためには、自分とは違う異質なものを取り込むことで生きていられるし
私は本を読むことも、食べることと同様だと思ってる。
人の言葉に生かされ、また殺されもし
自分を構成する要素が内側に蓄えられていく……。

極端な話、
白い壁の部屋の中で何も与えられないまま年月を過ごしていると発狂してしまうような気がするんだ。


僕らのこの体は、存続できる期間中、
受容と排泄を繰り返して生きているということだ。
魂や霊体を受け入れて、ものを食べは糞して、死んで抜け出るように……
自分の体と同化するものを選ぶとき、
元の体質と、体調バランスを意識して食べものを手に取るのは重要なことだ。
その行為が、生きるってことなんだろう。
好きなものを好きなだけ機械的に取り込み続ける行為には、意思があるとは思えないし。それが盲目的依存?


植物も、動物も、
食用として育てられてきた場合だとしても
食べてほしくて生まれてきた存在だとは思えない。
ただ、存在していることには理由はないのではあるまいか?
生きているその時を過ごし、瞬間を感じている。
寝ている間に夢を見る。考えを巡らせたりする。

ただ、体の存続のために食べ物を欲する。

植物も、体を傷つけられると痛みを感じる。
ジタバタもがきながら首根っこを捕まれて、
「噫・・死ぬんだな」と終わりを悟る。


それだけの話……
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なら僕が、生きている意味を探すのはどうしてだろう。

ただ、在るがまま、佇んでいる状態を快く思えないのは
常に何かを解決しなければならないと思っているからだ。

人生は問題だらけで、落ち着きを取り戻すために
てんやわんやすることで
不安や恐怖を感じる状態を避けている。
それが幸せで満足なのかは分からないけど……
周りがどうあっても、自分の中に安寧を見いだせないのは強迫観念と言ってもいいだろう。

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私は、変わらなくてもいいんだよ。
存在を許されている。自然に愛されていることを
ただ、ただ、感じるために
私は病みから回復する過程で
生きてるという感覚を堪能したいのかもしれない。

向き合うのもそのため。