云外人间自悠游

濃霧に灯篭を翳して

こんなに、生にしがみつくことに
なんの意味があるのだろう。

私、生きてていいかな。?



ふと、こんな問が浮かぶのは心がからっぽなとき

回復しきってない謂われ。


絶望に身を捩りながら生の選択をするときとは違って

むなしさが胸の内を満たしてるように思う。




悲壮感はなく

ただ問がぽこっと浮かぶだけの空間。


…私は答えることもなく佇んでいる。


心に無を飼っていると

時たまこんな問が私に投げかけられる。


答えなく

息をする私だけがそこにいる。




生きることに意味、無いなぁ…

ため息の裏返し。



電車+自転車通学をしていた高校生の

朦朧とした意識で
線路に降りたらしねるかなぁ。

車道に飛び出てみたらどうなるだろう。


と妄想しては、暗い夜道を漕いでいた。

逃避行なのか、気まぐれ自殺なのかも分からない。

…たぶん両方だ。




まだ、この問は消えてないのは


私の中で

生きることに納得してない何かがある。



からっぽな心をぶら下げて

生きる理由らしきものを探して日々を過ごす。




その問を手放したら

私には、何も残らないんじゃないか。?



ぽわ っと過ごすことは、何か悪いことなのだろうか。


それが
求めていた静寂。だとしたら