云外人间自悠游

濃霧に灯篭を翳して

Bang!

哀しみや怒りの只中にいると、麻薬のように癖になる。
自傷のない元の感性がなんなのか思い出せないし
ぼんやりしていただけのように思う。

触らないようじっとしてるうちに
興味が薄れていくに違いない。



さて。

共感性が低いままの存在は
自分殺しを続けるのだろうか。


自分さえも痛みを感じないままに
罪悪感もなく残酷な行動を振るう場合については。
自分が痛めつけた、とそう思わない存在については?


理不尽に抗った理由を知ったところで、
倫理的に外れたことをすれば例外なく拘束するのが社会。
…実際に僕は入院を勧められた。
自分は泣いて謝ったけど、
それすら演技の人は今後はどうするのだろうか。
その場だけ切り抜けられればいいと思い、
疑心暗鬼になった社会が相互監視システムだ。


ある人間が異常を発現しても、
投薬で問題となる行動が収まるならば「解決」とする。


表面上は、他者と顔を付き合わせて立派な社会人をやっているとしても、見えないところで鬱屈とした感情が溜まっているのかもしれない。

人目を気にして悩みを話せないのは僕ばかりではない。

周りにどう思われるのか、
話せば異常者として認識されるのではないか、
発現者を視界から排除すれば、また平穏な日々を送れる…


他人なら他人事として扱える。
共感性は伴っていないが、、なら、家族の場合は?


親が子どもの存在を疎ましく思っていて、
子どもが堪らず親を殺してしまったら?
親が防御反応で子どもを殺めてしまったら?
それを見た第三者・・二人のバックボーンを知って、
どちらの気持ちにも共感しながら「殺しちゃダメだよ」と言うのだろうか。

…… それで解決なんだろうか?

否定・禁止・命令で拘束されたその子どもが、
歳を経て大人になったら?
他人事として扱えなくなった場合はどうするのだろう?


気持ち(心・精神)はそんなに頼りになる?



僕はそうだとは言えない。

涙を見せず泣いている僕は
どこに行き場を求めればいい。…